











|

福島県会津若松市の旅行代理店の情報が登録されていません。

第12回大旅行22(会津若松市 会津藩校日新館2) 2008年8月9日 第2日目 今、福島県会津若松市の会津藩校日新館にいます。引き続き中を紹介しましょう。 これは、日新館の中心になる太成殿です(写真〓)。儒教の始祖である孔子やその高弟が祀られているところです。入母屋造り本瓦葺きの美しい均整のとれた建物です。 独特の形をしたシャチホコと魔除けの動物の像はさっき戟門で見てきたのと同じです(写真〓)。 後方を振り返るとこういう感じです(写真〓)。どれだけ広いかよく分かります。 さて、正面を見るとこうなっています(写真〓)。確かに孔子やその弟子達の像がこちらを向いて立っています。 近づいてみると、中央には孔子、左には曾子、右には顔子が配置されていました(写真〓)。 曾子は孔子の直弟子です。親孝行の模範になった人物ですが、今日では忘れられようとしています。「曾参人を殺す」という言葉を残しましたが、これも既に死語と化しました。 顔子も孔子の直弟子です。この人は最も孔子に見込まれた人でしたが、惜しくも若死にしました。
会津東山温泉 くつろぎ宿 新滝 (福島県) くつろぎ宿 新滝 都道府県:福島県 住所:福島県会津若松市東山町湯本川向222 温泉地名:会津東山温泉 (あいづひがしやまおんせん) 説明:会津若松の東に位置する山あいのいで湯。山々に囲まれた東山周辺は見所も多く、滝や奇岩の点在する「湯川渓谷」や「東山ダム」等、宿からちょっと足をのばせば雄大な自然がある。きらびやかなネオン街もなく、城下町の奥座敷にふさわしい、しっとりとした佇まいを残している。 宿名:くつろぎ宿 新滝 (くつろぎじゅく しんたき) 渓流沿い:○ 湯めぐり可:○ 地図 クチコミを見る 詳細を見る(「じゃらん」から予約もできます) ぱせりのオンラインおすすめ温泉予約サイト これもおすすめ! ワイシャツバーゲン ジュエリー ダイエット 新生活通販 縁起物集めました
妙国寺とこづゆ(2008年8月2日)福島県会津若松市一箕町字八幡 今回の『連載・会津を旅する☆』(いつから連載になったんや?)は 白虎隊・仮埋葬地であり、松平容保公謹慎の地の妙国寺です。 妙国寺 (会津若松市一箕町字八幡) 白虎隊・仮埋葬地である妙国寺は鶴ヶ城開城後に松平容保・喜徳父子の謹慎場所でもあります。 容保公使用のお碗とお膳が残っているそうですが、これを知ったのは帰宅後で(惜しい…) 容保公・謹慎の間も残っているようです。 明治元年9月22日降伏調印式を終えた容保・喜徳父子は一度鶴ヶ城に戻り、藩祖歴代の霊廟に 参拝し、城内の者に長い間の苦労を労い、戦没者の眠る井戸や二の丸墓地に花を捧げました。 そして夕刻、城内3000人に別れを告げ、山駕籠に乗り、滝沢村のこの妙国寺で謹慎生活に 入りました。この会津の一番辛い日の事を思うと、胸が熱くなります…(ノ_
第12回大旅行21(会津若松市 会津藩校日新館1) 2008年8月9日 第2日目 今、福島県会津若松市の滝沢本陣にいます。この辺りのすべての見学が終わりました。1330時、駐車場に戻り出発、近くにある会津藩校をめざします。 飯盛山方面からだと県道を適宜北上すると国道49号線に出ます。この国道は大きな観音像が見える会津村のところで180度カーブを切りますが、会津村の手前で県道33号線に入らないと行けません。 そのつもりで行ったのですが、うっかり国道を直進してしまいました。Uターンして県道33号線に戻り、住宅地の中を走ると、大きな駐車場に着きます(写真〓) どう見ても寂れた土産物屋が左手に一軒あります。目の前に想像を絶する巨大な建物が見えます。思っていた以上に大規模な建物です。 少し歩くと狛犬でしょうか、シーサーでしょうか、こちらをじろりと見ています(写真〓)。 一番外の塀までやってきました。大きな門が見えますが、南門です(写真〓)。 なにやら銅像と顕彰碑があります(写真〓)。山川健次郎先生と書かれています。 解説による
愛宕神社・秋葉神社 ともに、「火伏せの神」だそうです!! 青森県弘前市 愛宕神社(あたごじんじゃ) 岩手県遠野市 愛宕神社(あたごじんじゃ) 宮城県仙台市 太白区 愛宕神社(あたごじんじゃ) 山形県天童市 愛宕神社(あたごじんじゃ) 山形県尾花沢市 愛宕神社(あたごじんじゃ) 山形県西村山郡 西川町 愛宕神社(あたごじんじゃ) 福島県会津若松市 愛宕神社(あたごじんじゃ) 福島県南会津郡 南会津町 愛宕神社(あたごじんじゃ) 福島県大沼郡 会津美里町 愛宕神社(あたごじんじゃ) 茨城県笠間市 愛宕神社(あたごじんじゃ) 千葉県野田市 愛宕神社(あたごじんじゃ) 神奈川県横浜市 鶴見区 愛宕神社(あたごじんじゃ) 新潟県長岡市 愛宕神社(あたごじんじゃ) 富山県小矢部市 愛宕神社(あたごじんじゃ) 愛知県豊橋市 愛宕神社(あたごじんじゃ) 三重県伊賀市 奥山愛宕神社(おくやまあたごじんじゃ) 京都府京都市 右京区 愛宕神社(あたごじんじゃ) 京
第12回大旅行20(会津若松市 滝沢本陣4) 2008年8月9日 第2日目 今、福島県会津若松市の滝沢本陣にいます。引き続き内部を紹介しましょう。 土間、居間、座敷は紹介しましたので、御次の間と御座の間を紹介することにします。 この二つの間が藩主が来たときに本陣として機能する場所です。 これが御次の間から見た御座の間です(写真〓)。御座の間には藩主が座り、御次の間には当直の藩士が詰めます。 御座の間はこういうように書院造りになっています(写真〓)。「白虎隊とは」と書かれた紙が邪魔をしていますが、左から平書院、床の間、天袋付き床脇という構成で、本陣としては至って簡素な造りです。 これは御座の間から御次の間を見たところです(写真〓)。簡素ながらも床の間がついています(写真〓)。 この二間の前には遠州流で作られた庭園が広がっています(写真〓)。 ここも戦場になり、随所に戊辰戦争当時の弾痕や刀傷が残ってかつての戦いの後を生々しく伝えています(写真〓〓)。 これは、さっきの武家屋敷でも見てきた会津の獅子舞です(写
会津若松城を行く <日本100名城 NO,12> 地元では「鶴ヶ城」 会津若松城も最近行ってきたのではありません、あしからず。 しかし、かなり昔に行った事はあります。 今回、モモが友人と福島へエステ旅行に行くことになったので、会津若松城に行って来てスタンプ押してきてぇぇと頼んだものです。 '''これって、、、ズルじゃないですよねぇ!?''' 本当は、会津若松城だけじゃなく福島県に所在する日本100名城 '''二本松城'''、'''白河小峰城''' のスタンプもゲットしてもらいたかたんですが、、、、、 「お城行くのが目的じゃないの!! 自分で行けばいいでしょ!!」とあえなく撃沈でした。 スタンプを押してきてもらった観光案内には、会津若松城ではなく '''「史跡若松城跡 鶴ヶ城 茶室 麟閣」''' となっています。 でも、観光案内にはその辺のことが書かれていません。 へぇぇ何でなの!?ということで、WIKI見てみました。 若松城(わかまつじょう)は、福島県会津若松市追手町にある城である。観光
第12回大旅行19(会津若松市 滝沢本陣3) 2008年8月9日 第2日目 今、福島県会津若松市の滝沢本陣にいます。引き続き内部を紹介しましょう。 今いるのは「おめえ」と呼ばれる板敷きの居間です。ここにはたくさんのものが展示されています。興味深いものばかりですから紹介しましょう。 これは神棚です(写真〓)。こうやってみると、神棚は一棟ではなく数棟あります。前に注連縄が張られています。 これは、マタタビから作られた篭や雪踏み俵が写っています(写真〓)。 マタタビは猫にマタタビのあのマタタビです。蔓性植物なのでこうやってその蔓を加工してザルやカゴを作ります。当地は雪深いところで、冬に雪が積もると雪踏み俵を履いてその辺りを行き来し、雪を踏み固めて道を造りました。 これは、昔、滝沢本陣で使われた陶器類です(写真〓)。青が基調の美しい風格を感じさせる品々です。 これは漆塗りの重箱や食器です(写真〓)。これも重厚な造りです。 安くて壊れにくいプラスチック製品が大量に出回っている時代ですが、陶器の食器は健在です。 しか
第12回大旅行18(会津若松市 滝沢本陣2) 2008年8月9日 第2日目 今、福島県会津若松市の滝沢本陣にいます。引き続き内部を紹介しましょう。 およそこの建物がどういう造りか紹介しましょう。まずは、これがさっきから紹介してきた「にわ」、つまり土間です(写真〓)。 同じ位置から後ろを振り返ると、「おめえ」つまり、居間はこういうようになっています(写真〓)。 「おめえ」の間は御膳仕立ての間という看板がありましたから、要するに台所です。普段は居間、藩主などが来たときは台所になったということでしょう。 「おめえ」にはいろいろなものが所狭しと展示されています。詳しく紹介していきましょう。 なぜか、最初は大正琴です(写真〓)。大正琴は文字通り大正元年(1912年)に二弦琴とタイプライターをヒントに製作されました。普通の大正琴はソプラノ音域で、高音の悲しげな音が印象的でした。 特に村田英雄が歌った「人生劇場」の出だしが心に残りました。大正琴は基本的に二弦琴で糸は2本ですが2本の糸は同じ高さの音を出します。 簡易楽器だろうと思
第12回大旅行17(会津若松市 滝沢本陣1) 2008年8月9日 第2日目 今、福島県会津若松市の飯盛山にいます。このあたりの散策が終わりましたので、少し北にある滝沢本陣に向かいます。 1251時着。これが滝沢本陣です(写真〓)。ここは、江戸時代、会津藩の参勤交代時の出発地や領内巡視の際の休息所として本陣が置かれていました。 戊辰戦争の際はここが本営となり、白虎隊もここから東に山を越えて戸の口原の守備についたのです。しかし、この火に弱い茅葺きの建物があの戦争をよく生き残りました。 現在は、国指定の史跡であるとともに重要文化財にも指定されています(写真〓)。 では、内部を見学することにしましょう。これが入口です(写真〓)。入場料は300円です。 まずは、「にわ」と呼ばれるところがあります。にわといっても、普通の露天の庭ではありません。家の中の広い土間を「にわ」と呼ぶのはごく普通に見られます。 土間の上を見ると屋根はなく、小屋組みが見えます。巨大な大黒柱と向こう大黒柱、その間に架かる太い梁、いかにも頑丈そうな造りです(写真〓〓)。
|
|
|